変化が怖くて仕方がない。
しかし、変化を許さない世界は窮屈で嫌だ。
ならば覚悟を決めて変化を受け入れるしかない。
しかし覚悟が決まらない。
持論を述べることも何かに抗うことも、少し前までは比較的容易にできたが、今はそうはいかない。
何かあればすぐ不適切と判断されるこの時代に、色々と歯止めが効かない人たちの目を気にせずロックに生きるというのは本当に難しい。
一歩間違えれば痛い人だと思われ、世間から白い目で見られてしまうから。
かと言って、色々気にして“地雷”を避けようとしたら、今度は「中途半端なものしか生まれない」となってしまう。
Pragueのことを考えた。
説教じみたことを一切言わない歌や、辛い気持ちに寄り添う歌が流行るこの時代に、「Stance」のような歌を励ましの歌と捉えてくれる人は一体何人いるのだろうか。
本音、いてくれる気がしない。
ネット上で過激な発言が飛び交っている様子を見ていると、自信がなくなってくる。
こういうことを考えるうちに、私はPragueの復活を願えなくなってしまった。
今の時代、少しでも世間が気に食わないようなことを言えば、何でもすぐネット上で炎上して、叩かれて潰されて、再起不能になってしまう。
それゆえに私は、Pragueに対して「この状況でも変わらずにオルタナティヴなロックを歌い続けてほしい」と思えなくなってしまった。
Pragueの3人がそんなヤワな人たちではないことぐらいわかっている。
わかっているけれども、怖いのだ。
知識とエゴを積み重ね、終わりのない現実に眩みながらも、まだ見ぬ何かを求め、探し、見つけても。
今の時代、一度でも世間から白い目で見られたらもう終わりなのだ。
三日月に「価値はないだろう」と笑われる程度では済まないことが起こりかねないのだ。
そんなことを考えながら「オイルランプ」を聴いてもなおPragueの復活を願えるか?
私には無理だった。
そういうわけで、私はPragueの復活を願えなくなってしまった。
「影踏み」の歌詞のように生きたかった。
しかし現実は、恐れるもので溢れかえっているし。
いつか溶けて消えてゆくと信じたくても、デジタルタトゥーがそれを邪魔する。
私含め全員が、光も影も受け入れられたらどれほど楽だろうか。


