「秋揺れ」の季節
お久し振りです、響です。
あっという間に時は流れ、今年もあと2ヶ月で終わりという時期になってしまった。
最近、(他の場所は全然だというのに、)自宅近くの並木だけ何故か色づいているということに気付いた。「1kmも離れていないこの距離で、何故そのようなことが起こるのか?」と、よくわからないまま自然に感動している。
この話、何年か前にもしたような気がするな…。このブログには載っていないとは思うが。
さて、そんな季節にはやはりホットドリンク。
先日、家族と一緒に地元近くのカフェに行ってきたのだが、心安らぐ素敵なお店で、居心地の良さは確実に値段以上だった。趣味でカフェを巡る人の気持ちがよくわかる。ファミマカフェも良いが。
セットで手作りクッキーも頼んだのだが、コーヒー(カフェラテ含む)とセットにすると単品で頼むよりも100円ほど安くなるような価格設定になっており、正直「これで商売成り立つの?すげ〜!」となった。
しかし、こういうのを楽しんでいても、結局同じ物事ばかりをひきずって考えて落ち込んでしまう自分がいて。何年も前の失敗─人間関係だとか仕事だとか、そういうことばかりを思い出しては、上手くやれなかった自分を嘆いてばかり。試せる限りのことを試しても相変わらず。秋になると何故かそれが酷くなるのだが、それも含めての「秋」なのだろうか。
きっと違うな。
まあそんなこんなで迎えた「秋揺れ」の季節、去年は「気付かないうちに紅葉も終わってもう冬じゃん」となって終わってしまったため、今年はきちんと楽しもうと思う。
四季は努力して楽しむものではないと思うが…。
では、また。
眠りと目覚め、私とPrague
お久しぶりです、響です。
大変なことが起こってしまった。そう、Pragueの公式TwitterアカウントとPragueドラムの伊東さんのTwitterのアカウントの凍結である。
私がそれに気付いたのは3日前。現時点では復活はしていない。
Pragueの公式アカウントに関しては、放置状態になってもう10年目になる。そうなると、このまま気付かれないままになってしまうかもしれない。
Pragueとしての結晶を見る媒体がひとつ減ってしまい、本当に悲しい。
2年ほど前に描いた絵を少し手直ししてTwitterに載せた。これは「Prague鈴木雄太のどっか行きたい」での活動休止報告の記事を読んだ後に「オイルランプ」を聴いた時の感情。絵のテイストはわざとである。
@Prague_STAFF に届きますように。
ここでひとつ、CocoPPaPlayという着せ替えゲームでコーデを作りたくなった。
そこで今回は「明け方のメタファー」より「滑空」をテーマに作ってみた。
ちなみに私はこの曲を目覚まし時計のアラームに設定している。
Pragueの楽曲の魅力として、「解釈を多少誤っても、『それもまた一つの世界』として楽しめる」というのがあると、勝手にそう思っている。
誰視点で描かれたものなのか。
先頭に続いて歩いている人か?グライダーを操縦している人か?特に何をするでもなく外側から見てるだけの人か?
何を見たのか。
草原か?蜃気楼か?理想か?現実か?
何をしようとしているのか。
蜃気楼に惑わされているのか?空を滑ろうとしているのか?降りる手前なのか?それらを見ているだけなのか?
そもそも、これらは全て本当に起こっていることなのか?実はこれらは全て、何かを伝えるために使われる作り話だったり、比喩表現だったりするのか?
正解はひとつかもしれないが、ひとつでなくても面白いものである。
しかしながら、確実に言えることがひとつだけある。それは、「『馬鹿げたことに傷つきながらも必死になる』、それは間抜けなことかもしれないが、しかし魅力的である」ということ。
「そういう間抜けな魅力が僕は好き。」
「飛び込む勇気があれば一瞬で入り込める楽曲。」
「是非皆さんも飛び込んでみて。」
─Sony Musicの出すPragueメンバーによる楽曲解説より、Pragueのボーカル 鈴木雄太さんの言葉─
今の自分にとって、Pragueというバンドは蜃気楼の向こうにいる存在だ。案外身近な存在なのかもしれないが、しかしながら、とても遠い場所に在るように感じてしまう。
活動休止から今年で10年目。蜃気楼の先にいるかのようなこのバンドを追いかける、ファン歴3年の私を、人は「間抜けだ」と言うだろうか?
P.S.時代の変化に伴い、一部の記事を削除しました。
ある緑茶について
お久しぶりです、響です。
「喪中だったため新年の挨拶は控えておこう」と、何もしなかった結果今に至る。もう3月、卒業の時期だ。まあ自分はもう学生ではないので関係ないことだが。
卒業、そして新生活。それは社会人を苦しめる。何をするにもイチからな新生活、始まるは「繁忙期」だ。規定時間を超えないようには調整されているものの、ここ暫く自分は残業の日々を過ごしている。毎度「はよ帰りてぇ〜〜」と思いながら仕事をしているが、しかしながら、残業があるお陰で「自分の自由時間が1時間短くなっただけでも相当なストレスになる」ということに気付けたので、時間の大切さを別の視点から学ばせてくれた繁忙期にはどこか感謝している。とは言うが、やはり家には早く帰りたい。
さて、生存確認程度に話を切り出しただけだったが故、特に話すこともないので、そんな日が続くなかで見つけた、思わず「何だこれは」と呟いてしまった飲み物を紹介しようと思う。
それが、2月6日から数量限定で発売されている「さくら緑茶」だ。
味をざっくり説明すると、「桜餅を食べてすぐに緑茶を飲んだらこんな感じになるんだろうな〜」といった味である。
つまりどういうことか。そう、桜餅を食べた気分を同時に味わえる緑茶ということだ。
…少しダイエットした気分になれるかもしれない。
非常に面白い味がするこのお茶だが、これが「ネタ枠」ではなくしっかり美味しいという点が素晴らしい。流石伊藤園。
もうひとつ、「おみくじが付いてくる」という点もまた面白い。
ラベルの裏に書いてあるタイプではなく、キャップ部分に「タグ」のようにして引っかかっている状態で売られている。正直な話、簡単に占い結果を覗くことができるが故に大吉ばかりを選んで持っていく人もいるかもしれないが……。ちなみに自分は一番最初に大吉を当て、その後は一発目のそれで満足したため(原因はわからないが)おみくじの取れてしまったお茶を選んで買っている。
一口飲むだけで春を味わえる緑茶。さくらの味が苦手でないならば是非飲んでみてほしい。貴方も思わず「何だこれ」と驚いてしまうに違いない。
値段は一本172円(税込)と少し高めだが、さくらと緑茶が苦手ではないならば飲む価値は大いにあると思う。
さて、話すことが一旦はゼロになったので、今日はここで終わろうと思う。
では、また。
雪の香
どうも、響です。
いつものことではあるが、今回も唐突に。
雪のにおいを感じたことはありますか?
分類的には「流転」で蛍が忘れられないでいるあの「雪のにおい」と同じものだろう。多分。
雨の日、地元ではしっかり「土」のにおいがするのだが、今住んでいる場所(言うほど田舎ではない場所)では金魚の水槽の水を何日も替えなかったときにするあの嫌なにおいがする。故に、(正直な話、)雨が降るとテンションが下がる。
だが、雪のにおいは違う。雨よりもすっきりしていて、細く、そしてまとまっている。結論、それは「氷」のにおいのもっとあっさりした版。
これを「冬のにおい」と呼ぶのかもしれない。
一瞬でわかるこのにおい。
雨は「自然」を感じやすく、雪は(「自然」と比べた場合、)どちらかというと「空気」や「気温」を感じやすいにおいをしているのかもしれない。
私は雪のにおいが好きだ。
最初に「冬のにおい」を感じたのは昨日だった。
職場に向かうために家を出た瞬間に、ミントの香りを嗅いだときのようなすっきり感を感じた。ミントとは全然違う香りだが。
それを感じたというのに、その割には吹いていた風はどこかあたたかかった。
嘘か本当かはわからないが、「台風が来る前日あたりは普段よりあたたかい」という話がある。それがもし本当ならば、「寒い日の前は少しあたたかい(のかもしれない)」というこの感覚も間違っていないのかもしれない。
そういうわけで、このとき私は「明日あたり雪が降るかな」と思った。天気予報をみたらビンゴ。つまり、今日雪が降るというわけだ。
雪が降った。多分初雪だ。
今日の雪は(仮に積もったとしても)明後日あたりには雨が降ると書いてあったので、すぐとけるだろう。
以前「暫くまともに雪が降ってなかったから久々に積もって少し嬉しい」みたいな記事を書いたが、その年以降も雪は積もっていた。さて、今年はどうなるか。
あの頃から今にかけての変化としては、まず傘が変わった。あの後もう1年くらいは使っていたが、流石に寿命が来たので変えた。それからしばらくはビニール傘を使っていたのだが、あまりにも盗まれるので、仕方なくスーパーで地味な柄のものを買った。そうしたら傘は盗まれなくなった。当然だが性能もビニール傘より良かったので、最初からこうしておけば良かったのかもしれない。
次に靴が変わった。あのお気に入りのハーフブーツも寿命が来てしまったので仕方なく捨てた。その後すぐ新しいブーツを買ったが、(雨の日の長靴の代わりにもしていたせいで)そんなに長持ちしなかった。今は短めのジッパー付きブーツを履いている。履き心地は多分今までで一番良い。やはりデザインより性能か…。
話変わって、前回の記事で話題にしたあのイチョウ並木だが、それから半分くらいの木は葉を落としてしまったが、まだ葉を広げて堂々と立っている木もある。よく行くコンビニの近くのとある木は、何故か殆ど葉を落としていない。とても立派な木だ。私も見習わなければ。
さて、ここらで話すことも一旦は尽きたので、今回はここで終わりにする。
では、また。
哀愁の旅人
非常にお久しぶりです、響です。
ブログ活動においては殆ど喋ることなく今に至ってしまった。言い訳をするにしても「その間色々とありすぎまして」と薄いことしか言えない。その期間の学びについては、語るにも、少し難しい「現代ならでは」の問題が絡んでくるので、話せたら話すと言っておく。
さて、そんなこんなでくだらないことにもがむしゃらに頑張ってしまっていたわけだが、一段落ついたところで職場近くの街路樹(イチョウ)が黄色くなっていたことに気付いた。もうそんな季節か、と思い、Pragueの「秋揺れ」を聴きながら少し散歩してみたのだが、地面を見ると真っ黄色で。そう、紅葉の季節は終わりに突入していたのだ。それでもまだ葉の落ちていない木はたくさんあったので十分楽しめたが、やはり明け方のメタファーとも言える鮮やかな季節は一瞬で、今後は(できる限り)大切にしていこうと思った。
ここから派生して色々と文を書いていたのだが、バックアップに失敗して吹き飛んでしまい、直すのも面倒なので記憶にある部分だけをざっくりと書くことにする。
こういう季節になると、過去のことで物思いにふけることがある。
自称の段階になるが、私は人間関係リセット症候群だ。それゆえ、今までに縁を切ってしまった人たちが今どのように過ごしているかが気になることがある。
私がいようがいまいが彼ら彼女らには関係なく、それぞれ元気にしていることくらいわかっているので、普段は記憶を辿って追いかけたりはしないのだが、先日ふと高校時代の友人らがどうしているか気になり、記憶を頼りにTwitterのアカウントを探してみた。案外すぐ見つかったが、どれもあまり機能していなさそうだったので、「まあこれも時代か」と思いながらそっとブラウザバックして履歴も消してアプリを閉じた。
このような話を続けていても埒が明かないので、今回はここで終わりにしようと思う。
これからは、仕事をして帰宅したらポケモン(BDSPで対戦 or SVで育成)のルーティンをしながら時々ブログを書いていこうと思う。
では、また。
これぞまさに「何だこれは」
何だこれは。
本当に何なんだ、これは。
最終更新が一年前だなんて…
何故更新が無かったか、それは…なんというか、価値観の変化だろう。
こういう風に色々な自分の感情を書くのがどこか偉そうに感じて、書くのを躊躇っていた結果がこれだ。
申し訳ないとは思うが、こうやって謝罪したところで誰がそれを求めているだろうか。
ほんの暇つぶし程度に閲覧している人ですら一人二人いるかいないかくらいだろうから、なんて、まあただ逃げているだけとも思わない人はいないだろうが、現にそこまで存在を求められているブログでは無いだろうからそこまで気にせずいこう。
喪中につき…
今年もよろしくお願い致します。