眠りと目覚め、私とPrague
お久しぶりです、響です。
大変なことが起こってしまった。そう、Pragueの公式TwitterアカウントとPragueドラムの伊東さんのTwitterのアカウントの凍結である。
私がそれに気付いたのは3日前。現時点では復活はしていない。
Pragueの公式アカウントに関しては、放置状態になってもう10年目になる。そうなると、このまま気付かれないままになってしまうかもしれない。
Pragueとしての結晶を見る媒体がひとつ減ってしまい、本当に悲しい。
2年ほど前に描いた絵を少し手直ししてTwitterに載せた。これは「Prague鈴木雄太のどっか行きたい」での活動休止報告の記事を読んだ後に「オイルランプ」を聴いた時の感情。絵のテイストはわざとである。
@Prague_STAFF に届きますように。
ここでひとつ、CocoPPaPlayという着せ替えゲームでコーデを作りたくなった。
そこで今回は「明け方のメタファー」より「滑空」をテーマに作ってみた。
ちなみに私はこの曲を目覚まし時計のアラームに設定している。
Pragueの楽曲の魅力として、「解釈を多少誤っても、『それもまた一つの世界』として楽しめる」というのがあると、勝手にそう思っている。
誰視点で描かれたものなのか。
先頭に続いて歩いている人か?グライダーを操縦している人か?特に何をするでもなく外側から見てるだけの人か?
何を見たのか。
草原か?蜃気楼か?理想か?現実か?
何をしようとしているのか。
蜃気楼に惑わされているのか?空を滑ろうとしているのか?降りる手前なのか?それらを見ているだけなのか?
そもそも、これらは全て本当に起こっていることなのか?実はこれらは全て、何かを伝えるために使われる作り話だったり、比喩表現だったりするのか?
正解はひとつかもしれないが、ひとつでなくても面白いものである。
しかしながら、確実に言えることがひとつだけある。それは、「『馬鹿げたことに傷つきながらも必死になる』、それは間抜けなことかもしれないが、しかし魅力的である」ということ。
「そういう間抜けな魅力が僕は好き。」
「飛び込む勇気があれば一瞬で入り込める楽曲。」
「是非皆さんも飛び込んでみて。」
─Sony Musicの出すPragueメンバーによる楽曲解説より、Pragueのボーカル 鈴木雄太さんの言葉─
今の自分にとって、Pragueというバンドは蜃気楼の向こうにいる存在だ。案外身近な存在なのかもしれないが、しかしながら、とても遠い場所に在るように感じてしまう。
活動休止から今年で10年目。蜃気楼の先にいるかのようなこのバンドを追いかける、ファン歴3年の私を、人は「間抜けだ」と言うだろうか?
P.S.時代の変化に伴い、一部の記事を削除しました。